結果と過程

晴れ たまに 雨

おは 東京久し振りに雨だねrain ここのところずっと晴れだったのに

 

 雨 嫌いじゃないっす 結構好き

 雨の音 強かったり 弱かったり

 晴れた日の後に雨が降った時のアスファルトのにおい あれって新潟でも東京でも同じ 全国共通なのかな?

 高校のラグビー部でボロボロのグチョグチョになりながらも、グラウンドで走った バカだけど好き

 そしてもうひとつ雨の日を好きになった理由がある

 

 

 雨の日を好きになったエピソード

 

 

 

 そんなある雨の日のこと

 

 

 学校の帰り途中 傘をさしながらまだ家まで半分以上の距離を歩かなくちゃいけない

 けどそんな足元はもうすでにグシャグシャ 案外あれっていやで、中学生の時靴下の上にビニール袋をかぶせて、そのうえに靴をはきながら、完全防水して登校したのを覚えてる(笑)

 まず家に着いたら 靴下脱いで シャワー浴びて 風呂入って… もうはやく家に着くことしか頭にない はやく靴を乾かしたい 一刻も早くこの靴を脱ぎたい

 

 そうやって早足で歩いているところに 前方から小学生(2,3年生?)が歩いてくる

 よそ見しながらゆっくりゆっくり歩いてる 

 

 そんな彼の足元には大きな水たまりが!! 声をかける暇さえなくその足は吸い込まれてく

 

 「ビシャ」

 

 なんてこった 靴がびしょびしょのうえに、さらに 完全ノックアウトだろ…

 早くこの憎い水たまりから足をどけたい 普通の人だったら溜息の一つくらいでそうなこの状況 彼はどうしたと思う?

 

 なんと水溜りの中を歩き回ってるんさ!! 自分の足元の感覚を楽しむように喜びながら!!

 

 この状況をみて「あ、子供ってすごいな」って思った

 俺達が悪いとしか考えれない状況を、いとも簡単に良い方向にもっていく

 俺達とは違って後のことを考えてない いい意味で だからこそ一瞬一瞬を集中して過ごすことができる

 もしかしたら彼は水たまりに自分から入っていったのかもしれない 何が起こるかが楽しみで 

 

 大人になって それが起きたらどうなるのか 自分にとってそれは+なのか-なのか つまり「結果」が行動の基準になってる様な気がする

 子供の頃の それはおもしろいのか 笑えるのか っていう興味の「過程」を飛ばして

 

 はっきり言える 結果も過程も両方大事だということを とくに大人になるにつれ結果が求められる場面が多くなることも

 

 じゃあ俺達大人が最大限の結果を得るためにしなくちゃいけないことって何だと思う?

 そう それは過程を楽しむこと 大事にすること

 

 ある人に教わったんだけど「どうすれば生徒の成績をあげることができるか」

 答えは簡単 自分で勉強する習慣をつければいい

 

 じゃあ「自分で勉強する習慣をつけるにはどうしたらいいか」

 答えはその子の成績を評価するんじゃなくて、宿題でも何でも、その子がやったことを評価してやる そうすればその子は「誰も見ていないところでの努力をほめてくれた!!」と感じて、さらに一人でも努力するようになる

 

 一見 矛盾しているように思う 結果を出したいなら過程を大事にする、ということ

 だけどスポーツだって、勉強だって一番のびたときって、それをするのがたまらなく好きだったときだったなぁって振り返れる

 2万本シュートbasketballも桜木は絶対楽しかった

 

 本当にあなたが結果を出したいんだったら、まず自分が楽しんじゃおう!! 苦しいことばっかじゃ 体が 脳が いやがっちゃうから

 

 前まで子供だったのに、そのいいところだけ抜けて行ってるような気がする(笑)

 これからもたくさん学ばせてもらいます 先輩!!

 「ですから、小さい子供のように自分を低くする者が、天国では一番偉いのです。」 マタイの福音書18:4

 

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